お片づけ個人レッスンについて

『ニーチェはこう考えた』石川 輝吉(著)お片づけライブラリvol.21

こんにちは♪
プロフェッショナルオーガナイザーの小坂 泉です。
 

本日の1冊

ニーチェはこう考えた (ちくまプリマー新書)
石川 輝吉
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個人レッスンをしていると、モノを判断することに慣れていなくて、頭の中でぐるぐる「考え」を巡らせてしまい、固まってしまう人がいます。
 

あなたは、どうですか?
 

この現象、「選択する」ことに慣れていない場合もありますが、人ならではの「思考のクセ」にとらわれている場合も。
 

こんな時、モノを選べない理由をお伺いすると、ある一定の同じポイントでつまずいていることが往々にしてあります。
 

小坂は、共通して出てくる一般的なお悩みには、「思考の方法」を学ぶことに効果があり、具体的には「哲学思考」がその助けになるのではないかと考えています。
 

本日ご紹介する本は、有名な哲学者・ニーチェが説いた思考をわかりやすく解説した哲学入門書。
 

きっと、「あれ、これ、あの時の私のこと…?」とデジャビュが起きるのではないでしょうか?
 

早速、一部を見てみましょう!

ニーチェの哲学は、少し変な言い方だけれど、わたしたちの「精神の体質改善」にきっと役立つはずだ。
 

では、ニーチェの哲学とはどういうものだろうか。
それは、一言でいって、うじうじした「小さな人間のための哲学」だ。
 

「小さな人間」とは、わたしたちが<うまくいっていないときにうじうじする状態>のことだ。
 

「世界」はなんのために存在するか、「人類」はなんのために存在するか、これは当分われわれがまったく気にすべきことではない。しかし君個人がなんのために存在するか、これはみずから問いたまへ。
 

「ルサンチマン」とは、言葉の意味としては感情のくり返しを意味する。わたしたちはうまくいっていないとき、自分ではコントロールできないくらい反感や妬みの感情でいっぱいになって、醜く他者のことを恨む。
 

ルサンチマンから発する攻撃性は自分自身に向いている。自分を徹底的にダメなものとして受けとめる。
 

うまくいっていないとき、嫌なことがあったりしたとき、わたしたちが思うのは「死ね」「死にたい」「全てなくなれ」の三つです。
じっさい、ネット上では「リア充は死ね」という言葉がある。「リア充」とは、リアルが充実している、という意味だ。友人とたのしく遊べて、恋人もいたりするリア充してるやつはうらやましい。自分はそうなれない。だから、リア充は死ね、リア充できない自分は死にたい、リア充のないこの世界はなくなれ。これが今のルサンチマンの表現なのかもしれない。
 

わたしたちは「ほんとうは」という言葉をよく使う。ここで問題にしたいのは、自分がうまくいっていないときに使う「ほんとうは」だ。
 

たとえば、自分の意にそぐわない仕事をやらざるをえない場合がある。働きたくなかった会社に就職すること、第一志望でない部署に配属されることもある。そんなとき「ほんとうは」がクビをもたげる。「ほんとうはこんな仕事やるはずじゃなかった」というのがそれだ。
 そんなとき、自分の頭の少し上には、あの夢見た自分の理想の仕事がある。その理想から、いまのやりたくない仕事、それをやっている自分、それをやらせている会社、そして、この現実の世界が攻撃される。「つまらない!」と。
 この場合、たいていの理想は美化されている。完全になっている。もう、やりたい仕事をやっている自分は目が痛いくらい輝いている。
 こうして、完ぺきな理想とみじめな現実という対立が生まれる、現実はいつも理想から攻撃される。そして、この世界はつまらない無意味なものに感じられる。完璧な理想を求める「真理への意志」は、この現実に生きることを無意味にしてしまう「虚無への意志」でもあるのだ。
 ここではないどこかに完ぺきな理想を置くことは、この現実に否を投げつけることでもある。否を投げつけること、それは「ニヒリズム」だ。
 

ルサンチマンとニヒリズムは小さな人間の性格
 

ニヒリストとは、あるがままの世界については、それはあるべきではなかったと判断し、また、あるべき世界については、それは実在していないと判断する人間のことである。
 

よく若い人と話をするとき、「夢がある」、「やりたいことがある」と言う人がいる。
けれども、では、そのやりたいことに対して、なにか現実的なアプローチをしているかと言えば、そうでもない。たとえば、「アーチストが夢です」と言う人にかぎって、作品がない人が多い。この場合、彼/彼女にとって「夢」とはなんだろうか。
 ちょっとマッチョな言い方になるけれど、ぱっとしない現実の自分を否定して、人と話すときに自分を飾ってアピールするだけの道具にすぎないように見える。「ほんとうはこんな自分ではありません」と実体のない「夢」で自分を飾って、あるがままの現実を否定している。
 

ニーチェは、ニヒリズムは「存在するより存在しないようがまし」を目的にすると言っている。「どうせ」うまくいかないのだから、現実の自分や世界なんてないほうがまし。自分と世界に「否」を投げつける態度がここにはある。
 

一方で「ほんとうは」、他方で「どうせ」。これは共に現実否定のニヒリズムになるのだけれど、すごく身近な例で、つぎのことだって言えるはずだ。
たとえば、ぼくは今こうして原稿を書いているのだけど、一方で、「ほんとうはもっとうまく書けるはず」と、他方で、「どうせうまくなんて書けないよ」の中で揺れ動く。で、そう揺れ動いているとき、必ずおろそかになることがある。それが、実際に手を動かすことだ。現実に向き合っていない。いま、やるべきことを忘れている。

いかがでしたか?
 

モノを判断するときに、こんな感じになっていませんか…?
 

ラストの引用は、そっくりそのまま「モノを持って固まっている」状態に置き換えることができます。

もし、少しでも似たような傾向があるのであれば、あなたはその時、モノに、自分に、そして世界に向き合えていません。
 

この思考にはまってしまうことの一番の問題は、「自分を徹底的にダメなものとして受けとめる」と言うこと。
 

自己否定にはまっているとき、自分だけでそこから抜け出すのは、本当に本当に難しいです。
 

少しでもこの思考のクセがある方には、小坂は個人レッスンを強くお勧めします。
 

なぜなら、その場にお片づけのプロがいたら、あなたが思考の沼にはまっているのに気づき、すぐに引き上げることができるからです。
 

モノを見極めるときに大切なのは、「このモノを、今から使いたいと感じているか。」この1点。
 

お片づけを効果的に行うためにも、もっと気軽にプロの力を借りていただけたら、と思います。
 

あなたもぜひ、自分の傾向をチェックしてみてくださいね♪

目次

序章 うじうじした小さな人間のための哲学
第1章 二人の神さま
第2章 ほんとうのある人
第3章 徹底的に台無しにすること
第4章 人間、このちっぽけな
第5章 うじうじくよくよからよろこびへ
第6章 みんな苦しんで大きくなった

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